伝統的な工芸
蝋染め
ブイ族の蝋染めは、昔から名を馳せる。貴州恵水の特産品である蝋染め布は、宋時代の書籍の中に記録を残していた。清代の史書に記載された「青龍布」とは、蝋染め布のことを指し、ブイ族の娘たちが十二、十三歳から、蝋染めの技術を学び始めるという。
蝋染めの制作手順として、まず、蜜蝋を過熱して蝋の汁に溶け、次に、三角形の銅刀で蝋の汁を漬けながら、自分で織りあがった白い布に図案を描いた後、インジゴの甕に入れて青色や薄い青色に染色する。最後に、染めた布を鍋の中に入れ、蜜蝋の物質を煮て取り、川で何度も水洗いをして干してから、独特な蝋染めができあがる。
蝋染めの布は、図案が豊富且つ素質で、絵の模様が活発豪快に見え、しかも独特な亀紋(「小波紋」ともいう)を呈しているため、手作りならではの芸術効果が味わえる。
ミヤオ族(苗族)の刺繍
ミヤオ族の女性たちにとって、農耕生産のほか、織物、刺繍、挑花(手芸の一種)および蝋絵の勉強が、人生の重要な一部分である。女性としての器用さと人生に対する理解や生きがいは、手作り品によって表出される。ミヤオ族の女性は、三、四歳の時から、母親と姉について学び始め、七十歳、八十歳になってもずっと続いている。刺繍の図案について、伝統的な×、井、十、口、回、Ⅴ、◇、石榴、胡蝶、魚、鳥といった伝統的な模様のほか、個人の趣味により大胆な想像力を生かしてできたものも少なくない。そのため、ミヤオ族刺繍は、内容から形式まで、大きな発展を遂げてきた。ミヤオ族の刺繍作品の中で、ミヤオ族少女の晴れ着と跳花祭りに使われる花背扇扇面が最も有名。晴れ着は、ミヤオ族の女性にとって大事な貴重品であれば、心血の結晶と人生の縮図でもある。それは、女性が一生の中で、晴れ着を結婚時の嫁入り道具と死んだ時共に埋葬するものとして、僅か二度しか使わないからである。真っ赤な朱子織を材料とした晴れ着に対して、背扇扇面のほとんどは、赤色、オレンジ色、黄色、緑色、紺色、青色、紫色、黒と白の麻、木綿材料で作られる。晴れ着にしろ、背扇扇面にしろ、刺繍の作り方が極めて複雑で、当地の専門家から指導を得なければ、なかなか上達に成れない。晴れ着を作るには、ほぼ一年の時間がかかる。だから、ミヤオ族の女性が買い物の時にも喋りの時にもよく各色の糸を選んだり、針仕事をしたりするのは、その原因と関わるらしい。また、「男を選ぶなら畑仕事が大事、女を選ぶなら針仕事が大事」という諺も、この風俗を指すものである。
木彫工芸品
木彫工芸品は、地元劇の仮面を主な特産品とし、古い夜郎国の素朴美と獰猛美が誇張な造型と素朴な手法によって悉く表現されている。
ブイ族の挎包(ショルダー・バッグ)
ブイ族の挎包は、黒い布の上に地味な白い花柄を縫って作られた工芸品。周りの部分は紺色、青色、薄い赤色、深い赤色などの細かい布からなり、中央部は刺繍の工芸で作られた吉祥の図案である。挎包の底部は丸くて細かい彩の布で飾っており、構図が整然のうえ、立体感も強く伝わってくる。
銀飾りの工芸品
ミヤオ族の男性も女性も銀製品に愛着しており、特に若い女性が更なる。ミヤオ族の銀飾りは精緻で繊細な美を富み、真珠式の耳輪、首輪、ネックレスには工夫が凝らされている。
ミヤオ族の全ての銀飾りは、ミヤオ族男性の職人が作ったものである。完成品には粗末な銀細工と精緻な銀細工という二種類に分かれている。粗末な銀細工は、例えば、ネックレスや、花模様のない首輪、腕輪のようなもので、重量が大きい反面、工芸が粗末。それを身に着ける目的は、生活の裕福さを見せるためである。一方、細かく作られた首輪と腕輪、花模様が刻まれた腕輪と腕輪のような銀細工もある。手間がかなりかかるが、銀の使用量が少ない。精緻な銀細工の中で、日常用の腰巻チェーン、銀羽、銀泡、銀雀、銀鎖、銀冠、銀羅漢、銀鈴、銀花、銀耳輪、銀楊枝、銀胡蝶、銀札、銀肩掛けおよび祭祀用の銀冠などが有名。精緻な銀細工を作るには、手間がかかる上に、加工の手順も多い。銀鎖を例として言えば、まず、銀を髪の毛のような細い糸に引き伸ばし、次に数十本の銀糸を「人」という文字模様の六面形の束に編まなければならない。銀冠の作り方は更に複雑。狭い冠の枠に、銀花、銀鈴、銀雀、銀胡蝶、銀鐘、銀楊枝などの飾り物がしっかりと溶接され、完成品の銀冠は重さ約三、四両、数十ないし百の銀細工が使われている。したがって、ミヤオ族の銀飾りは、銀細工の傑作として、ミヤオ族の人たちの知恵を示している。